東川隆太郎の「かごしま世間遺産探訪記」ーvol16.線路が残る廃線跡~宮之城線編~(伊佐市大口金波田)ー




約1年前から生活必需品となったマスク。
当初は薬局やドラックストア―で販売しているものがほとんどであったが、今や様々なデザインのマスクが見られるようになった。
それこそマスク不足が社会問題化していた折に、知人がブラジャーでマスクを作り、その姿をフェイスブックにあげていた。
これは世間を席巻するのでは、と一瞬だけ思ったが、それは幻に終わり、ブラジャーマスクを作った本人も実際に着用して路上を闊歩することは一度もなかったようだ。
先日、そろそろあれを着用したらどうですかと促したが、「イヤ、しない」と即答された。この話が本当の笑い話になる日が早く来てほしいなあと思う。

さて、今回は廃線の話題。
先日、某番組の撮影のために伊佐市の大口歴史民俗資料館に出かけた。
その館の担当者はすこぶる伊佐市に精通していて、歴史はもちろんのこと、地域事情やら店舗情報などあらゆる伊佐市情報を私に伝授してくださる。
その方とお会いする度に、私も伊佐市に関して詳しくなれる。
この日もその方からまたまた大変貴重な情報を得た。
それは廃線跡に線路が現存しているという情報である。

国鉄が民営化された昭和60年代、全国で路線が廃止された。
鹿児島県においても志布志線や山野線、大隅線に宮之城線と次々に廃止が決まり、各地から車両の姿が消え線路も消えた。
伊佐市も当時は大口市と菱刈町の時代であり、大口市には山野線と宮之城線が接続し、菱刈町には栗野駅から延びる山野線が営業していた。
宮之城線は昭和62年1月9日に、山野線は昭和63年1月31日を持って全線廃止となり、現在の伊佐市から鉄道が姿を消したのである。
両線とも重要な役割を持って営業されており、山野線は沿線の金鉱山経営を支え、宮之城線は川内川沿いの物流を担っていた地域の足であった。

廃線となって30年以上経ち、沿線周辺の環境も大きく変わり、線路跡は道路やサイクリング道に、駅跡は公園や公共施設となったところもある。
それだけに線路は相当探さないと現場には残されていないと思っていた。
ところが、大口歴史民俗資料館の担当者は、苦心の末に発見したと教えてくれたのである。

場所は、宮之城線の終点となる薩摩大口駅とそのひとつ前の駅である羽月駅の中間地点。
ちなみに薩摩大口駅は山野東線の開通によって大正10年9月11日に開駅され、羽月駅は宮之城線の誕生ともに昭和12年12月12日に開駅した駅である。
羽月駅跡から道路が延びているなどすると廃線跡もたどりやすいのだが、途中は圃場整理された田園が広がり、今や全くつながりが分からない状態であった。

田圃に姿を変えた路線跡:東川隆太郎撮影

それでも今回教えていただいた廃線跡には線路がそのままに残っていた。

線路跡:東川隆太郎撮影

目の前の道路は当時もあったということであったので踏切も設置されていたようである。

踏切跡:東川隆太郎撮影

藪の茂る廃線跡にひっそりと横たわる線路。

線路跡接近:東川隆太郎撮影

それは田園とは反対側のさらに藪の中に伸び、その際には川が流れ、かつては鉄橋があったようだが、現在それはなくなっていた。

廃線跡:東川隆太郎撮影

時を越えて静かにそして確かに残っていた宮之城線の線路。駅跡のように懐かしんで訪れる人もなく、でも、かつて列車が走った線路がそのまま現場にあるという貴重な存在である。発見もしにくく、その先は川なのでこの後開発されたりはしないだろうと予想はされるものの、どうかこのまま歴史を伝える存在であってほしいと願いを込めて、世間遺産に認定した。

参考文献

大口市郷土誌・下巻 昭和53年12月1日 発行 大口市郷土誌編さん委員会

鹿児島の鉄道・百年 平成12年9月10日 発行 著者 久木田末夫

この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。

かごしま探検の会ホームページはこちら

スポンサードリンク




よかったらシェアしてね!
目次
閉じる