東川隆太郎の「かごしま世間遺産探訪記」ーvol9.モダンな八坂神社の社殿と飛び出し坊やー

なんかいろいろ「解除」されたものの、まだまだ家に長くいる生活が続いており、これまでは外をウロウロしていることが多かったので、ついつい外世界との接点を求めてしまう。

家の中にいて、そのような接点のひとつであるのが窓。四階の私の部屋の窓からは、近くに高い建物がないこともあって、空や雲を少しだけ贅沢に楽しむことができる。

南西を向いているため朝日は差し込まないが、夕日は楽しめる。一日のほとんどを部屋の中で過ごしていて(前回記事参照)、ふと見上げた窓の外に赤く染まった空が広がっているだけでうれしくなり、ちょっと得した気分になったりする。

風が強い日などは、遠くの鉄橋を渡る列車の音が聞こえることもある。

鉄橋自体は部屋から見えないのだが、かすかな警笛と車輪の音が部屋のなかに運ばれてくると、美しい夕焼け雲を発見したときと同じくらい得した気分になる。

世間遺産との出会いも似たようなことがいえる。

日常での出会い、ささやかな感動、ちょっと得した気分、という点である。やはり、世間遺産の探求はよかよ、ということに落ち着く。

 

そのような出会いのひとつが、出水市の名護浦という港町にある八坂神社で得られた。

出水にあるのに名護浦という名前だけでも、沖縄好きに私にとってはたまらない。

名護浦は今でこそ海岸部に岸壁などが整備された港湾施設となっているが、江戸期などは米ノ津川の河口に面し、くちばし状に発達した砂洲が船の停泊に適していたため、漁船の溜りとなっていた。

対岸の米ノ津港が商港としての役割を担っており、名護浦は車えびなどが水揚げされる漁港として機能してきた。

名護浦:東川隆太郎撮影

その港町にある神社のひとつに八坂神社がある。

神社の由緒を記した明細帳によると、文政2(1819)年に疫病の減却を願って上村(現在の出水市知識町)に鎮座する八坂神社から勧請されたという。

また、弘化4(1847)年に、同じく疫病のコレラが流行した際にも拝殿の建立が行われるなど、江戸期には疫病退散の神として信仰されてようだ。

それだけに、こんなご時世の今こそぜひお参りしたい神社ともいえるが、その社殿はなかなかモダンである。

社殿全体はコンクリート製であり、配色は白と赤を基調としてバランスがいい。また空に向かって集中して飛翔するかのような独特の屋根は、飛行機の羽のようでもある。

八坂神社拝殿:東川隆太郎撮影

さらに一段高く設えられた本殿には、屋根に鳥居の貫を彷彿させる突起がいくつも見受けられインパクトがある。

八坂神社本殿:東川隆太郎撮影

社殿横にある建立記念碑によると、昭和53年2月12日に落成していて、工費に273万円、岡田設計事務所が設計を担当して篠原建設が施行したと刻まれている。境内には、他にも昭和10年11月吉日に名護浦氏子中によって建立された鳥居や猿田彦大神と刻まれた大石がある。

 

そして、私の心をもっと捉えたのが、交通安全のための標識のひとつでもある「飛び出し坊や」である。

クールな大人の笑顔を見せる飛び出し坊や:東川隆太郎撮影

子供らしい笑顔を見せる飛び出し坊や:東川隆太郎撮影

控えめながらも裏表別の顔を持つ坊や。にっこり笑って車を停めたあとにクールな顔で去っていくのか、「坊やにしては大人びた顔…」と思わせたあとに「ああ、子供らしい無邪気な笑顔だよかった」と思わせるのかわからないが、八坂神社の境内空間の豊かさのレベルを向上させていることは訪れた誰もが感じることのひとつであろう。

ということで、由緒とモダンが絶妙に交錯し、さらに飛び出し坊やも下支えという在り方が素晴らしく、世間遺産に認定した。

 

おっと肝心なことを忘れておりました。八坂神社の御祭神は八俣の大蛇退治で有名なスサノオノミコトであり、疫病退散はもちろん、力も授けてくれます。ぜひ世間遺産のふれあいと共にお参りしてみてはいかがでしょうか。

導きの神猿田彦大神の陰から飛び出すとは侮れないぞ飛び出し坊や:東川隆太郎撮影

 

 

参考文献

神社史物語(出水)~神社創建年の一考察  平成9年 出水市教育委員会

鹿児島県の地名  1998年 平凡社発行

 

この記事はかごしま探検の会の東川隆太郎さんに寄稿いただき、カゴシマニアックス編集部で編集したものです。

かごしま探検の会ホームページはこちら

https://tankennokai.com/

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